スパイダーと行く~「バンブーレジリエンススピンオフ企画-ぶらばーだー-」開催報告

3月半ば、宮城県内の教職員有志からなるMAP(みやぎアドベンチャープロジェクト)研究会の皆さまを中心に、私たちネイチャーセンター友の会がご案内する形で化石発掘と火防線の刈り払い体験を行いました。

MAP研究会とは、宮城県で学校の中に冒険教育・体験型学習を取り入れていこうと志す自主的な集まりで、そのルーツはアメリカ発の教育プログラムである「プロジェクト・アドベンチャー」(PA)にあります。

東日本大震災の後、大災害からの心の復興の一助になればと来日されたPAの高名なトレーナーかつカウンセラーであるジム・ショーエル氏が、被災地の子どもたちの心のケアはもちろん、子どもたちに関わる学校教員を中心とした大人たちのケアも重要と考え、前後6回も宮城県を訪れて「竹のもつしなやかさ」をイメージした「バンブーレジリエンス」(BR)と名付けたミーティングを行い、議論と実践を深めてこられました。

その成果はMAP研究会によって「グループの力でレジリエンス~しなやかな心~をはぐくむ」という冊子にまとめられており、下記URLから見ることができます。

http://hiroy.kir.jp/map/report_data/2016/map-resilience.html

私たち南三陸ネイチャーセンター友の会とMAP研の繋がりは、第二回のBRが南三陸町内の志津川自然の家を会場に開かれた際に教員ではないものの地元からの参加者として会長鈴木が参加させていただいたのがきっかけですが、実はそのときもうひとり、教員ではないものの子どもたちとの活動に大いに取り組んでいる人物が参加していました。

町内歌津地区で「てんぐのヤマ学校」を主宰されていた蜘瀧仙人こと八幡明彦氏。通称である「スパイダー」の方がとおりが良いかと思いますが、彼も南三陸町内を会場に行われた第二回から第四回まで、不慮の事故で亡くなるまで欠かさずBRに参加していました。事故の翌月に石巻で行われた第5回BRでの沈痛な空気は忘れられません。

南三陸町歌津舘崎にて採取されたアンモナイトの化石


前置きが長くなりましたが、今回の企画はBRメンバーが久し振りに南三陸の地に集うのと同時に、実はスパイダーを偲ぶ機会でもありました。ですので、初日はおそらくスパイダーがクモの次くらいに好きだったであろう化石の発掘を歌津地区で行い、宿泊は第3回と第4回のBR会場となった入谷地区のさんさん館、翌日は「古い山道をちゃんと歩けるようにして、子どもたちが山のてっぺんから自分たちが暮らす土地をちゃんと眺められるようにしたいよな」「とくに歌津と入谷と志津川の境界だった山、あそこを見晴らしの良い場所にしたい」というスパイダーとの語らいからスタートした火防線プロジェクトの活動の一端を、まだそれほど見晴らしは良くないものの境界山への登頂も含めて体験していただきました。

企画をご提案いただき、家族でご参加いただいたプロジェクトアドベンチャージャパン(PAJ)の寺中さまをはじめ、年度末のスケジュールを調整してご参加いただいたすべての皆さまに感謝申し上げます。私たち南三陸ネイチャーセンター友の会としても、これを機会にMAP研はじめ学校教育に携わる皆さまとの連携を深めていきたいと思います。

惣内山における火防線整備作業風景


そして最後に、今回の事業はスパイダーこと八幡明彦氏の御尊父であられる八幡惠介氏が設立された「八幡明彦記念基金」からの助成を得て実施させていただきました。今は亡きスパイダーが取り持つ縁がこのような事業に繋がったことを有難く思います。当初は二日とも雨の予報だったのにまさかまさかの青空続き。「スパイダーのおかげで‥」なんて峠のてっぺんで話している最中にどおっと風がとおり抜けて、あの瞬間みんながスパイダーの存在を感じたと思います。

八幡惠介氏に心から感謝申し上げますとともに、八幡明彦氏にも感謝と哀悼の意、さらには「これからもよろしく!」のメッセージを捧げたいと思います。

歌津公民館所蔵「僕が歌津にいた理由」(蜘瀧仙人+RQ聞き書きプロジェクト)